大阪家庭裁判所岸和田支部 昭和40年(家)578号 審判 1966年3月02日
申立人 井沢明男(仮名)
事件本人 井沢佐世(仮氏)
主文
申立人の戸籍中同籍二女佐世につき、その氏名欄の「佐世」を「美里」と訂正することを許可する。
理由
本件記録添付の認定資料によると、次の事実を認めることができる。
(1) 事件本人は昭和四〇年一二月二日岸和田市民病院で、申立人とその妻友子との間に二女として生まれたものである。
(2) 同友子は同日同子分娩のため前記病院に入院し、出産後同月七日退院し、産後の静養のため事件本人とともに自分の実家に帰り、翌年一月七日申立人の許に戻り来つたものであるが、分娩して未だ入院中であつた友子は昭和四〇年一二月五日来院した申立人に対し、事件本人につき「美里」と命名してほしいとの希望を述べたところ、申立人は「それはよい名であるが一度親戚の意見を聴いてみて、更によい名が考えついたときは、二人で協議して定める。」と約した。それにもかかわらず、同人は昭和四〇年一二月九日友子には無断で事件本人に「佐世」と命名したうえ、その名を記載した出生届書を提出し、よつてその旨の戸籍記載がなされた。而して申立人は同届出の直後実家にあつた友子に対し、前記命名と出生届出の事実を報じたところ友子は「佐世」なる名が中学校当時自分と全く性格の合わなかつた同窓生の名「小夜」と発音を同じくして不快な感情を誘発するところから、前記命名を追認し難い旨の意思を表明した。
そこで両名は熟慮協議のうえ、その翌日友子の希望名どおり「美里」と命名した。
(3) 而して申立人は即日当該戸籍係に先の届出にかかる名「佐世」を撤回し正式命名の「美里」として戸籍氏名欄記載を訂正されたき旨申出でたところ、これに関する適法な手続を指示され、本件申立に及んだものである。
叙上の事実下において第一に、申立人が先ず事件本人に名附けて届け出でた「佐世」なる名は、有効な命名にかかるものであるかどうかについて検討する。叙上(2)記載の事実によると、其は親権者の一方(申立人)が他方(妻友子)の予め申出にかかる出生子の希望名を採択することなく、擅に決定したものにすぎない。惟うに出生子の名はその附せられる子にとつては終世的な人的表彰であり、その人格的ないし精神的利益に密着するものであることに鑑み、命名はその決定に当つては飽くまで慎重な態度を要求するものであることから、本件のように親権者両名ある場合は、それらの間において平等の地位で平和裡に十分な話合がなされ、完全な協議が遂げられたうえ決定されなければならない(夫婦円満協議出生子命名の原則)。親権者両名の協議あること是が叙上の場合における出生子命名の有効要件の一である。されば、かかる要件を欠く「佐世」なる命名は、単に妥当性を欠くだけに止らず、無効に属し且つ現在親権者他方の追認なきこと明かである以上その無効が確定的である。
第二に、親権者両名が協議のうえ次で名附けた「美里」なる名は、その命名が既に「佐世」なる名の記載ある出生届書が受附けられた後においてなされていても、有効な命名にかかるものとして処遇せられるべきかどうかについて検討する。前叙の有効要件を具備する命名が存する以上は、(A)多くの事例のように出生届出が命名の後に行なわれる通常の場合たると、はたまた(B)稀な事例たる本件のように同届出が命名(本件においては後の名「美里」)の前に行なわれた(同届書に記載された名(先の名「佐世」)は前叙の理由により無効のものであるから、同届書の名の記載部分のみ無効であるが、届書が全部無効に帰するものではなく、それは性質上恰も故らに名の記載なき同届書と同じである。)特殊な場合たると、そのいずれにかかわらず、その名は有効な命名にかかるものというべきである。けだし一般的にいえば、命名は出生届書の受附により効力を生ずるものではなくて、命名の権限あるもの(出生子がその固有権として有する命名権につき同子のため事務管理行為としてなす代行者――親権者法律上または慣習上の養育者)が単独にてまたは親権者両名の協議のうえ特定の称呼を決定することにより成立し効力を生ずるものであつて、出生届書の受付の有無ないし時間的前後とは無関係であるからである。而して前記(A)の場合と(B)の場合と相異るは、ただ前者が戸籍法第一一三条に所謂錯誤ある場合の一般的なものに該当し、後者がその特殊的なものに該当する点にあり、事実と戸籍記載が不一致である点においては両者とも相均しく、いずれも同法条により戸籍訂正をなすことができる。
最後に、一旦、親権者の一方(申立人)が他方(同友子)の予め提示にかかる出生子名の希望を容れず擅に名附け且つ届出を了した名(「佐世」)は同友子により追認するところとならず撤回され、両者の協議を経て命名される(名「美里」となる)に至つた経過に志向し、その中に存する事項――先の名が同友子の中学校時代の回想上前叙のような不快な感情を誘発するによりその選名を嫌忌したことが前記撤回の主原因である点――を剔出してこれを爼上にのぼせ、命名は親権者が子の利益観点に立脚して実施すべきものであつて親権者の主観的認識ないし欲求に従つて決定さるべきものでないとの命名の本質的使命にこれを照して、前記「美里」とする命名が、単に前叙有効要件を具備しているが故に当然有効なものであるとする前記の結論は、遂に正当なものといえるかどうかにつき更に深く検討する。惟うに叙上命名目的上の子の利益も親権者自身の利益とは有機的に無関係に存在するものでないことは自明の事理であるから、親権者友子の前記主観的事項、延いては親権者両名共通の同上顧慮は強いて排斥されなければならない底のものに属しないので、同命名の有効性を阻却するものでないと断ずべきである。さすれば、かかる有効に成立した命名による名「美里」こそ、事件本人の真実の名であり、本来は届け出でらるべくして、現実は誤つて性質上仮名なる「佐世」と届け出でられていると解すべきである。
叙上の次第により、親権者の一方が他方の予め申出にかかる出生子の希望名を採択せず擅に命名し届け出でた名を、その後両者が協議して命名した名に訂正することを求める本件申立は正当としてこれを認容すべく、よつて主文のとおり審判する。
(家事審判官 井上松治郎)